ツァラトゥストラへの階段3


土橋真二郎の両作品を比較してみると

ツァラトゥストラへの階段』が『扉の外』と違うのは、作中人物が人間らしいということ。
人間として扱われているというか、『ツァラトゥストラ』の人物は、キャラクタとして感情みたいな、優しさのようなものがある。
つまるところ、舞がしおらしくて可愛らしくなってきましたなぁうへへってことだ。


これでどういう面白みが生まれるかというと、人間が「駒」としてのみ扱われていた『扉』よりも、感情と実利を秤にかけた葛藤が見られる。
つまるところ、つかまっちゃった舞が何されちゃうんだろうハァハァってことだ。

今巻の見どころ(というかフイタところ)

ドアラベアラふいた
・とどめのバックドロップふいた

のんべんだらりな感想

・『扉』の3巻がアクションガンシューティングで、こっちはアクションRPG。ゲームには元々幅があるので、こういう変化でよいと思うよ。
・カレンの助言で展開はなんとか読めた。よしよし、こういう力も付いてきたぞ。
・アストライア - 星乙女。おとめ座の元になった、ギリシア神話の優しい女神。いや、西の善き魔女にも名前が出てきたなーと思って。

・p240より、著者らしい解釈など。

『……雨の日って何故かセンチな気分になりますよね』
 オリビアが公園のデータフィールドを歩きながら言った。彼女も降り注ぐデータの破片を受けている。
「きっと自分の体の中に感情が溜まっちゃうんだろうな」
 福原は雨を見て思った。雨粒も人間の感情もこの世界では物質として存在するのだ。空間を乱す雨粒のデータがあるため、雨の日は感情が空間を飛びにくくなる。自己の感情を発散できにくいのだ。
(中略)
 人間の感情は水に似ているな、と思った。プラスの感情はふわふわとした雲だ。水は水蒸気として空に浮かんでいる。風に漂う軽い気分。
 氷のように残酷で冷たくなるときもある。凍りついた鋭利な感情。それは透明感のある綺麗な結晶のときもあり、真っ白に濁って歪な形に凍りつくこともある。
 雨はたとえるなら悲しい感情だ。重く落ち込んだ感情を支えきれなくなり、水として空間に降り注いでしまった状態。周囲にいる人間をも濡らして感情を伝染させる。
 しかし、激しく降った雨の後ほど、太陽を眩しく感じてしまうのだ。

(p240より)

いや、やっぱりこの著者、好き。『扉』が終わって残念だなーと思ってたんですが、2月に新シリーズが始まるようなので、よし。『ツァラトゥストラ』も追いかけるでぇ。