幼年期の終わり

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)
クラーク
光文社
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長門のモチーフはカレラン。(挨拶)
少なくとも、p356あたりで情報統合思念体ふいた。
いや、面白いですね、SF。私が読んだSFなんて、高校の時に図書館で気が付いたら読み切っていた筒井康隆時かけ夏への扉くらいしか思いつかないけれど。あと猫の地球儀とかも含めていいのかな。


で、率直な印象なんだけど、SFはスラスラわくわく読める。楽しいなー。読むのが楽しい。「1000冊読まなきゃいけないなんて、SFの世界は大変だなー」と思ってたけど、あまり本を読まない私でさえガツガツ読みたくなった、少なくとも、この『幼年期の終わり』は。私の知るSFは。本を読む人にとっては、それほど苦ではないのかもしれない。SFって、ライトノベル以前のライトノベル位置づけなんじゃないの?(暴言)

舞台を表現する

SFって世界を構築するのが大変そう。ライトノベルや大衆文芸は「私たちの身の回り」が舞台になることが多いから、もしくは「世界」以外に重点がおかれていることが多いので、描写はそれほど気を使わなくていい。(暴言)
でもSFってそうじゃないんだと思う。全くの未知な空間を、読者に見せなくてはいけないから。志賀直哉erな私は、情景描写が上手いとそれだけで作家や作品を好きになってしまうけれど、「空間を読者に見せる」ということが重要になるSFは、私と相性がいいのかもしれない。
顕著だったのが、p329から始まる、ジェフの「旅」。これは、すごい。本当にすごい。ここだけで何回も読み直した。アーサー・C・クラークという表現者に圧倒された瞬間だった。

科学と宗教

SFって科学なんですかね。いや、そりゃ「Sex Friend」でも「すこし・ふしぎ」でも「すごいファンタジー」でもないんだから、サイエンス・フィクションであるわけで、それは科学な作り物なんだろうけど。
幼年期の終わり』では、割と宗教がギッタギタだった。どうなんだろ。欧米の宗教観なら、こういう立場はやっぱり無神論的な立ち位置になるのかな。よく分からない。下手すれば日本人的な宗教観に落ち込むのかも。最近ようやくわかってきたけど、こういう宗教観は理神論って言うのな。
理神論 - Wikipedia
これはちょっと足りなすぎるけど。(笑)
もう少し宗教というものの、「なぜ宗教があるのか」っていう、根源みたいな、本質にかかわる。理神論って。閑話休題

理想郷

幼年期の終わり』の「幼年期の終わり」は、なんとも幸せな時間だった。理想の社会だった。テイルズあたりの主人公をこの世界に放りこめば、「違う! 俺たちの未来は俺たち自身がつかみ、選びとるんだ!」的な叫びをあげつつ、カレランが秘奥義で倒されそうだけど。
「幼年期の終わる」時代は、融和する時代。まさに幼年期を終え、黄金期に至ろうとする緩やかで満ち足りた雰囲気の流れる、読んでいて気持ちのいい時代だった。こんな時代が来るといいね。SFには、未来への願いを書いてもいいのかもしれない。


そして、黄金期が終わる。黄金の色は、斜陽の色。いつもこの色は寂しいね。少年期とか聞きたくなるよ。人の絶望の色なんじゃないの、お金の色だし。(放言)



いやー面白かったわ。SFは他にも薦められてる本があるので、読む。

経験値

リップ・ヴァン・ウィンクル - アメリカ版ウラシマタ・ロウ。
北極冠 - 火星にも北極のようなものがある。
危難の海 - 昔の人は、月の表面にある模様を見て、暗い部分には水があると勘違いした。