えむえむっ!


えむえむっ! (MF文庫J)
えむえむっ! (MF文庫J)
posted with amazlet at 09.04.13
松野 秋鳴
メディアファクトリー
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こんなものを読んでしまった……どうしよう、ものすごく変態だ……(ほめて……る……?)。


いやぁ、まぁ、この業界では有数の爆発力を持ったイラストレータが付いてる時点で、一作としての評価は否だろーが応だろーが高まりますわな。
かといって、本文的にはダメだったわけでもなく、よろしく楽しめましたことよ。思いの外ストーリィはパズルのごとく、単に笑わされてるだけかと思いきや、あとからぱちっと小気味良くシナリオがはまっていく感覚。ほほぉ、それをそう活かすんだ、いやはや、と。
イラストと強烈(とはいえ、これもレトリックとしての誇張ととらえることもできそう)な設定だけではなく、お話もちゃんと楽しめる、よいライトノベルでした。わりかしおすすめる。


さて。
この作品からひとつ論議を引き出すとするなら、『学校の階段 』を読んだ時にも感じたことがあるので、それをちょいと。


この『えむえむっ!』と『学校の階段』は、学校の部活動や、部活を中心とした人間の関係、もしくはヒロインとのいちゃらいちゃらな萌え萌ヱがお話の中心となるわけです。
ところが、
「ストーリィにまったくかかわらない=物語に要請されないが、ヒロイン性を持った近親がいる」
ということが、両作品に共通しています。
えむえむっ!』では美人で甘々な母(近親相姦を狙っている)と姉(インセスト・タブーを軽々と乗り越えてくる)。『学校の階段』ではやはり甘ーい(cv.27:40あたり)四姉妹が出てまいります。


けれど、彼女たちが作中に登場するシークエンスといえば、「家に帰ってきた主人公に対して、付きまとい、鬱陶しがられる」ということだけ。一部には、本筋に関与する場面もあるのですが、それらは代替可能な要素でしかない。


では、言うなれば「必要性のない彼女たち」が、なぜ物語に登場するのか。
このあたりが、「最近の読者に寄り添おう」とする、作り手側の何かが見えてくる一例なのかなー、などとぼんやり。