パララバ―Parallel lovers






p35で全容が見えたぜ! と思ったら外れた。最初にそうやって直観してしまうと、何を見ても自分の予想に結び付けて裏づけだと思ってしまう。人間思い込むと自分に対してさえ論理のすり替えを行ってしまう事を実感できた一冊。(それは作品の趣旨じゃない)


批判は「論理的に物語がつながってない」とか「要素の細切れ感」とか簡単にできるだろうけど、金賞を取った理由であろう、パラレルワールドのちょっと違った提示の仕方で勝負の決まった一冊なんじゃないかな。


その「ちょっと違った提示の仕方」というのが、「平行世界の差異」。
普通平行世界モノっていうのは、ある一つの視点(主に主人公)が、2つ以上の世界を渡って、「あれとこれが違う」「何があったのにこっちでは何がない」といった具合に、ひとつの、あるいは複数の差異を元にお話が進んでく。


この作品では、相手が死んでいるこちらの世界と、自分が死んでいる相手の世界、交互に対象となる主体が存在している、って視点が新鮮だったんじゃないのかな。
まぁ、こうして抽象度を上げてみると、「自分が死んでいる」くらいなら割とそこっこで見られそうだけど(クロノクロスとかタイムリープとか、つーよりこれは一番メジャな形か)、これが交換的なあたりが電撃ではそんなにない、ゆえの受賞だったんじゃないかなー、と。
言い換えると、海外のSFとか引っ張ってくれば、なんとかなってしまいそうではある。いや、それはさすがにだけれども。


で。
読みながら、「自分ならこうやって引っかき回しただろうなー」と思ったこととしては、

  • 実は平行世界ではなく、彼氏は別の他者による成りすまし(ミステリっぽい落とし),
  • 友達たちも自分たちと同じように平行世界とやり取りをしていた(平行の二重構造),

とかかな。こーゆー発想はなるたけしてきたいものだのう。


それにしても、ケータイ登場以後の文学作品は変わってしまう論に対して、ならばケータイをツールとしてうまく使ってやれ、っていうひとつの提示としても意味はあったかな。
メールではなく電話ってのもまた。


あとあんま関係ないけど、最初の方の文章の書きぶりが微妙に自分を思い起こさせた。これは書かなくてもいいことか。